「珀」と私は一心同体

犬の事どもについては、あらまし理解しているつもりなのだが、このところ、これまで体験したことのない犬の行動が気になって、これが一体どういうことなのだろうか随分考え込んでしまった。


犬の一生に付き合ってみると、仔犬時代の愛らしさ、そして壮年期の凛とした美しさ、母犬の仔犬を育てる神々しさ。

どの時代をとっても、犬たちに対する愛おしさに変わりはないのだが、最近になって、犬というのは老犬になるほど面白みが増すのではないかということに気がついた。


「珀」のことなのだが、このところ、どこか身体の具合でも悪いのだろうかとも思い、かれこれ5年以上も獣医さんに連れて行っていないので、一度検査でもしてもらおうかとも考えたのだが、秋田犬の11才ともなれば、こんな感じなのかも知れないなぁ、と思ったりもしていた。


目も相当悪くなってきているようだ。

散歩中に電信柱にぶつかってしまったり、駐車中の車に当たってしまったりと情けないこと甚だしい。

耳も遠くなってきたようで、「珀!」と呼んでもすぐに振り向くこともない。

ひどいときは散歩で何の障害物もないのにけつまづいたりもすることもある。

昔は秋田犬らしく、ずいぶん立派な太い巻き尾だったのだが、今は力なくだらりと尾は下がったままで、犬種がなんだか分からないような有様だ。

それでも、相変わらず食い意地だけは張っていて、おやつのジャーキーを与える時などは目を輝かせ、普段は下がったままの尻尾まで振ってみせる。


若い頃は、それほど甘えるような子ではなかったものが、最近はショップ内で私の動くところに付いて周り、今でもディスクに座った足元に寝そべっているし、ときどき私の肘の下から首を突っ込んできて腕を持ち上げてしまい仕事にならなくなってしまう。

おやつをくれと言いたいのか、散歩に行きたいとせがんでいるのか、何を言いたいのか良く分からない。


そんな訳で、日がな一日「珀」から目を離す事はないのだが、つい先日、はたと気が付いたことがある。

「珀」のやることなすことを見ていると、これは今の自分とほとんど変わらない老化の現われなのではないか。


これまで飼養していた高齢の犬たちは決して少なくはないのだが、それを面白いと感じたことはなかった。

なぜなら、これまでは自分がそれほど老人ではなかったのだから、犬たちの老人振りが実感できなかったのではないだろうか。


そう考えてみると、「珀」の一挙手一投足を改めて観察すれば、今の私自身とまったく変わらないのではないか。

このことに気が付いてから、これまでも「珀」を他人とは思えず愛おしく思ってきたのだが、そんなどころではなく、お互い70歳同士、ヨロヨロしながらも余生を楽しもうじゃないかと、「珀」と私は、ほとんど一心同体といった新たな付き合いが始まった感があり、どうにも楽しくて仕方がない。

 
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