「のらくろ」が最初の出逢い

とんでもなく高いハードルが待ち受けていることを承知のうえで、たった一人で茨の道を走り始めてから15年経った。
厳しいことは想定していたことだが、それにしても過酷な道程だった。
途中、たった一人で走っていたのに、振り返るとぞろぞろとランナーが増えて、痩せ馬の先走りを絵に描いたような始末で、老骨に鞭を打っても容易にスピードが上らない。
それでも完走することだけを目標に懸命に走り続けようと思っている、そんな今日この頃だが、それにしても今日は暑い。

熱中症気味の頭から不思議なことが思い出された。
夏の暑さでは、埼玉県の熊谷が日本一だと自慢していたところ、ここ最近では群馬県の館林がそのトップの座を奪ったようだ。
その館林には親戚があって、子供の頃にはよく遊びに行っていた。
商売は提灯屋で、提灯に筆を走らす叔父の姿を飽かず眺めていたことが忘れられないのだが、その仕事場の壁に大きな「のらくろ」の水墨画が掲げてあったことも今もって忘れられない。
漫画のようなユルキャラの「のらくろ」ではなく、豪快な筆致で描かれた、まるで白隠の達磨のような趣の作品だった。
私が物心ついたころ、最初の漫画との出逢いは「田川水泡」の「のらくろ上等兵」だった。「のらくろ」とは黒い野良犬ということで「のらくろ」なのだが、現実に犬と暮らし始めたのは純白のスピッツだった。

叔父から聞いたおぼろげな記憶では、田川水泡は叔父側の親戚筋にあたり、まだ漫画で食えない時分、提灯書きを手伝っていたことがあるのだそうだ。
今の人には田川水泡がどれほどの漫画家か見当もつかないだろうけれど、田川は世田谷区桜新町のシンボルとなっている「サザエさん」の長谷川町子はその弟子にあたり、手塚治虫のひとつ前の時代の漫画界の旗手だった

これからは、最初に出逢った犬はスピッツではなく「のらくろ」だったと言い直さなくてはならない。

 
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